目白卓球倶楽部公式サイト

特別顧問ごあいさつ

日本の卓球選手が世界で活躍し、卓球界全体が盛り上がりを見せている昨今、卓球に取り組み、日々上達を目指しておられるプレーヤーの皆様におかれましては、ご清祥のこととお慶び申し上げます。

私は、これまで多くのトップ選手の育成に携わってまいりましたが、一流の選手こそ例外なく、基礎を徹底的に突き詰めております。

基礎は言わば、建物の礎石のようなものです。

礎石がなければ立派な建物は建ちませんし、脆弱な礎石の上だと、建物は容易に崩れてしまいます。

目白卓球俱楽部オリジナルの「基礎メソッド」で、姿勢、フォーム、打法という、卓球の上達に最も重要な『基礎』を学び、初心者の方はもちろん、経験者の方もさらなる上達を目指してください。

卓球というスポーツは、健康で充実した生活のため、生涯スポーツとしても大きな魅力を持っている競技です。

ぜひ皆様も上達して、卓球を楽しみ、より健やかに過ごされることを願っております。

宮﨑義仁氏 プロフィール

宮﨑義仁

Yoshihito Miyazaki

1959年4月8日生まれ、長崎県出身。現役時代は、日本代表として世界選手権やオリンピックをはじめ、数々の世界大会で結果を残し、その名を世界に馳せる。

現役引退後も卓球にかける熱意は衰えず、指導者としてナショナルチームの監督、JOCエリートアカデミーの総監督を歴任。

高い指導力で、数多くのジュニア選手をトップ選手へと成長させ、卓球日本代表の躍進に貢献。現在も、日本卓球協会専務理事として、持ち前の行動力とリーダーシップで日本卓球界を支える。

現役時代、雑誌の表紙を飾る宮﨑氏

ヒストリー

鎮西学院高等学校に入学後、県大会でシングルス優勝を果たす。(左端が宮﨑氏)

卓球との出会い。そして同級生の涙を機に始まった卓球人生

1959年、長崎県に生まれる。最初は単に「面白そう」という単純な理由で中学の卓球部に入部した。

全国大会の県予選の団体戦に出場するも、練習熱心だった同級生1人しか勝つことができず、予選敗退してしまう。その時、彼の流した悔し涙を見て改心し、毎朝の早朝ランニングを開始。

その姿を見て手を差し伸べてくれたのは、かつて涙を流した同級生の母親でもあり、のちの恩師となる川﨑先生だった。「鎮西学院高校に入学し、私が顧問をしている卓球部に入部しないか」。宮﨑氏は、当時高校に行くことを考えていなかったが、入学を決意する。

高校入学後、1年の時に県大会で優勝、2年の時に九州大会で優勝の成績を修めた。

高校、大学時代を通じて猛練習に明け暮れた宮﨑氏

日本一の強豪大学への入学

このころから世界に出て戦うことを意識し始めた宮﨑氏は、さらに強くなるため、当時日本一の強豪校であった、近畿大学への入学を決意。

1年生の春のリーグの1試合目から出場すると、そのまま全勝し、輝かしい大学デビューを果たす。

当時、同大学の先輩であった小野誠治氏が世界チャンピオンになり、そんな先輩と練習をしていた宮﨑氏は、自らも世界チャンピオンになることを志した。

1987年全日本卓球選手権大会 決勝戦における雄姿(写真左、村上恭和氏とのペア)

卓球から離れ、訪れた転機

めきめきと力をつけた宮﨑氏は、大学2年生で西日本のチャンピオンとなり、近畿大学のエースへと登り詰める。

しかし、順風満帆かと思われた卓球人生に転機が訪れる。

大学4年の時に、大学のスタッフとぶつかった宮﨑氏は1年近く卓球から距離を置くことになる。

そんな中、当時和歌山銀行で卓球をしていた村上恭和さんから、「うちの銀行に入り、一緒に卓球をしよう」と声がかかる。

この誘いがきっかけで、宮﨑氏は卓球界に戻ることとなった。

オリンピックへ出場。強力なアップダウンサーブを武器に戦った

世界への挑戦、そしてオリンピックへ

1985年(当時26歳)、初めて世界選手権に出場すると中国選手を破り、当時の日本人最高成績の5位に輝くことに成功し、様々な世界大会で結果を残した。

当時、卓球はオリンピックの正式種目ではなかったが、1988年のソウルオリンピックから、初めて正式種目に制定されることになった。

こうして宮﨑氏は、オリンピックの日本代表選手第一号として、当時29歳で出場を果たすのだった。

2008年北京オリンピックでは監督として男子チームを率いた。(左から宮﨑氏、水谷隼選手、岸川聖也選手、佐藤コーチ)
2012年の世界卓球では銅メダルを獲得。(左から吉村真晴選手、丹羽孝希選手、岸川聖也選手、松平賢二選手、水谷隼選手、宮﨑氏)

選手から指導者へ

当時の日本卓球界は低迷期に差し掛かっており、オリンピックの翌年の1989年、宮﨑氏に「若手の育成のため、以後の日本代表を辞退してほしい」要請がかかる。

将来を見据え、日本卓球界の世代交代が必要だと考えた宮﨑氏は、その場で「辞退します。」と返答すると、その数時間後には、男子日本チームのコーチ就任の依頼を受け、指導者への転身を決意する。

後年、世界で勝てる日本チームをつくるために、ナショナルチームが結成すると、30歳で女子のナショナルチームの初代監督に就任。

また、2001年からは、世界選手権で結果が振るわなかった卓球男子を強化すべく、男子日本代表監督に就任する。

2004年アテネ五輪、2008年北京五輪、2012年ロンドン五輪で指揮を執る。そしてついに、2009年の世界選手権横浜大会では、水谷・岸川ペアが12年ぶりとなるメダルを獲得。

長きに渡る低迷期を味わった男子卓球界は、宮﨑氏の功績により復活ののろしを上げた。

2017年 JOCエリートアカデミー総監督として、張本智和選手の世界ジュニア選手権男子シングルス優勝祝賀会に列席(左から宮﨑氏、張本智和選手、張本宇氏)

世界へ羽ばたく次世代の育成

2012年からは日本オリンピック委員会の設立した『JOCエリートアカデミー』の総監督に就任し、ジュニア世代の育成に心血を注ぐ。

宮﨑氏の指導は卓球の技術のみならず、子ども達のメンタル面や卓球に対する姿勢の教育にも及んだ。日本選手達が世界で活躍する今日があるのも、宮﨑氏の薫陶を受けた、当時のジュニア世代の成長の賜物といえる。

2016年には日本卓球協会常務理事、強化部長・強化本部長に就任し、さらなる日本の卓球界の発展に尽力。2022年には日本卓球協会専務理事となり、日本卓球界を支え続け、今日に至る。

指導にあたった選手達

(※順不同 一部抜粋)

水谷隼選手  東京オリンピック 混合ダブルス金メダル                                                

張本智和選手 東京オリンピック 団体銅メダル                                                

丹羽考希選手 東京オリンピック 団体銅メダル                                                

宇田幸矢選手 全日本選手権優勝                                             

松平健太選手 世界選手権シングルスベスト8                                          

吉村真晴選手 リオオリンピック 男子団体銀メダル                                           

木原美悠選手 世界卓球選手権 準優勝                              

長﨑美柚選手 ワールドツアーグランドファイナル ダブルス優勝

平野美宇選手 東京オリンピック 団体銀メダル

著書

(※一部抜粋)

『世界卓球解説者が教える卓球観戦の極意』                                         

『日本卓球は中国に打ち勝つ』                                  

『DVDで上達!卓球 基本と勝つためのトレーニング』                                                  

『試合で勝つ! 卓球 戦型別攻略のコツ50 (コツがわかる本!)』                           

『勝つための卓球 ラリー&多球練習法』                                               

『試合で勝てる! 卓球 最強の戦術 (コツがわかる本!) 』                                      

『DVD付き 絶対うまくなる!卓球―日本のトッププレーヤーが実演!! 』

『もっとうまくなる!「勝てる卓球」のコツ50 (コツがわかる本!)』                    

体験レッスンの流れ

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